そふとどりんく・とーく 第10回

 手を合はせて拾へ

 「ばらくて」は今回で第十号。十は
拾と書くこともある。そこで今回は、
「拾う」ことについて書いてみたい。

 考えてみると、小さいころから拾い
物ばっかりしていた人生であった。道
路の砂利の中に光る石を見つけて持ち
帰ったり、道端に落ちていた何かの部
品を見つけたり。大事な物は見えない
が、役に立たない物はしっかり見つけ
てしまう眼であった。図工の時間に絵
を描いても、先生から「これは変」と
言われる位だったし。

 価値のある物を初めて拾ったのは、
小学校の三年生か四年生の頃だっただ
ろうか。近所のごみ捨て場にミニカー
の電動駐車場が捨ててあり、それを持
って帰った。親には「どこから持って
きたんだ」と怒られたが、一度味をし
めればこっちのもの。それからはいろ
いろな物を持ち帰った。ところが、五
年生の時に家の前で千円札を拾ったの
が運の尽き。それから長い間拾い物を
することは無かった。

 その拾い癖が再発したのが二十九歳
の時である。そう、缶ジュースを集め
はじめた頃である。最初はちゃんと自
販機や店で購入していたが、どこにも
売っていない(すでに販売終了となっ
ている)ものが道端に落ちているでは
ないか!売っているものでも、空き缶
を拾えばタダだし。それから毎週週末
には当時住んでいた首都圏各地をまる
で「ぶらり途中下車の旅」のように歩
き回った。滝口順平がこの様子を見て
いたならば、きっと「あれあれ久須美
さん、また缶を拾うんですか?」なん
てナレーションを付けたことだろう。
 まわりからはいろいろ言われていた
が、この空き缶があるおかげで副収入
を得ることができている。「鶴の恩返
し」ならぬ「缶の恩返し」である。

 新潟に戻ってからは粗大ゴミ漁りに
燃えた。家が新大五十嵐キャンパスの
近くというのもあり、粗大ゴミに時々
「お宝」を見つける。使えるパソコン
を拾ったこともあるし、20年モノの缶
コーヒーを中身入りで拾ったこともあ
る。母からは「年度末学生が捨ててい
く粗大ゴミが豪華」という話を聞いた
ので、特に毎年、年度末の粗大ゴミは
朝早く起きてチェックに行っている。
さすがにここ数年は不景気のせいか、
十数年前のバブル直後のように豪華な
粗大ゴミが落ちていないのは残念だが、
何かしら使える物が捨ててあるので、
非常に重宝している。
 缶然り、粗大ゴミ然り。きっとこの
調子で、今後も拾ってばかりの人生な
のだろうと思う。

 さて、話は変わって、物を拾う話つ
ながりでリサイクルの話をしたいと思
う。だいぶ前からゴミの分別や家電の
リサイクルなどが行われているが、ど
れも資源として再利用するための回収
であり、そのまま再使用をするためで
はない。

 再使用のためにはリサイクルショッ
プというものもあるが、家電などは充
分使用に耐えるものでも、製造年が古
いと引き取ってもらえない。店として
も品質の保証ができないというのが理
由だろうが、使えるものでも捨てざる
を得ないというのは理不尽な気がする。
 一旦バラして資源化するようになれ
ば、資源化の作業が発生するため、経
済的観点からは良いのかもしれないが、
資源保護の観点から考えれば、形ある
まま使い続けるのが一番良いのではと
思っている。例として自動車を挙げて
みよう。

 最近は国産車でも車歴10年以上の車
に乗っている人は多いが、ちょっと前
までは車検の関係で10年以上同じ車に
乗っている人は皆無だった。10年以上
乗りたいと思っても、故障した時に直
そうにも部品が無かったりして、結局
別の車に取り換えざるを得なかった。
ところが外国車、特に欧州車は何十年
経っても部品は当たり前のように入手
でき、ずっと同じ車に乗っていられる。
昨年から訳あって25年モノのビートル
に乗っているが、調べてみると部品は
今でも在庫が豊富であり、比較的安価
に入手できる。排気ガスや燃費の事を
考えると、乗るのをやめた方がいいの
ではとも言われるが、せっかくこの世
に生を受けた物、その生を全うするま
で使ってあげるべきではないだろうか。

 「拾」という漢字は手へんに合わせ
ると書く。つまり、拾うという行為は
手を合わせること。以前、仏壇屋のテ
レビCMで「手と手のシワを合わせて
『しあわせ』」というのがあったが、
拾うという行為、仏様に手を合わせる
行為に相通じるものがあるのではない
か。他人が捨てた物に生を見いだすこ
と、過去を振り返ると、それは間違い
ではないと確信している。

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