そふとどりんく・とーく 第5回

 小豆湯に見る内野(うちの)

 小学校の五年生まで、新潟市立南万
代小に通っていた。小学校六年生の時
に引っ越し、小学校六年生と中学校は
新潟市立内野小、内野中だった。(本
誌「今日も元気」執筆の上田浩子女史、
ガイナックス代表取締役の山賀博之氏、
新潟のお笑い集団「NAMARA」の江口代
表とは同時期に南万代小に通っていた
らしい)
 当時、南万代小の文化祭ではバザー
が無く、くやしい思いをしたのだが、
内野小、内野中ではちゃんとあった。
ところが、どちらの学校でも理解し難
いメニューが一つあった。それは「小
豆湯」(あずきゆ)である。お汁粉より
薄い餡の汁に小豆の粒が数個。飲んで
楽しむこともなく、小豆を食べて楽し
むこともない変な飲み物だった。
 当時、「何で子供に喜ばれないメニ
ューを出すのか」とPTAでも問題にな
ったそうなのだが、年寄(自分の子供が
学校に通っていなくともなぜかPTA会長
とかになる)が小豆湯を出すことを主張
するため、しょうがなく小豆湯がメニ
ューに入れていたそうなのだ。さすが
に最近はやめたそうだが。
 当時創立してから十数年しか経って
いない南万代小に比べれば、当時すで
に創立百年に達した内野小。伝統は充
分にある訳だが、それが現在の内野町
の凋落を生み出しているのではないか
と思うことがある。
 南万代小は国鉄職員子女のために設
置されたと言ってもいい学校で、親の
転勤による転校転入は日常茶飯事であ
った。一旦転校してまた転入してきた
子もいた。そのせいか、よく話に聞く
「転校生いじめ」というものも無かっ
たと思う。児童会の副会長に韓国人転
校生を選んでしまった位だから。きっ
と雰囲気も自由闊達だったのだろう。
最初に書いた面子が同じ小学校にいた
というのも理解していただけると思う。
 それに比べれば内野小は閉鎖的であ
った。新潟市中心部からの転校生は、
いつまで経っても転校生だった。小学
生だから生活する範囲が狭いので仕方
がないとは思うが、新潟市内のあちこ
ちを転々し、いろいろな店を知ってい
た者にとって、「内野の店でなければ
いい物が無い」と言われるのは、非常
におかしく感じた。
 さて、 前々回の本誌「文化酒場」に
も書いてあったが、内野は「亀田にな
り得た町」である。無理に新潟市に組
み入れられなくともやっていけた町で
ある。町内で生活に必要なものは大体
揃う。海も近いので、魚も食べられる
し泳ぎにも行けるので、娯楽には困ら
ない。酒蔵も四つあるので飲んべえも
安心。やろうと思えば、一生涯内野か
ら出なくとも暮らしていくこともでき
る。しかし、町内で生産と消費が完結
してしまうから、外部に向かってのア
ピールは少なくなる。文化祭バザーの
小豆湯のように、私のような「よそ者」
にとっては、不可解に感じることもあ
るわけだ。
 実際、新潟市中心部ではすでにビー
ルの冷やし代を取らなくなった頃に、
ビールの冷し代を取った酒屋があった
り、別の酒屋であるが、七年モノのす
でに飲めなくなっているジュースが当
たり前のように売られていた(この話
は、拙著『飲みモノ大百科』に掲載)
などの事象を内野で目の当たりにした。
 つまり、内野町商店街が寂れた理由
は大型店の進出だけが理由ではないの
だ。周辺にも住宅地がたくさんできて
おり、過疎のために店をたたんだとい
う事はあり得ない。自分自身の中から
崩壊していったのだと思う。最近商工
会で振興策をあれこれ考えているよう
だが、それに気づくのが遅過ぎたので
はないか。
 「会社の常識は社会の非常識」とい
う言葉を聞いたことがある。社内では
当たり前になっている風習が世間の常
識とかけ離れてしまったわけだ。内野
の商店街にも同じことが言えると思う。
本来、商売というものはどんどん外に
向かって伸ばしていくもの。ところが
自分たちのため、すなわち内向きの商
売を行ったが為に、周辺の新興店に負
けてしまったのだと思う。
 では、何が足りなかったのか。それ
は前回同様「コミュニケーション」だ
と思う。ビールの冷し代と取ろうとも、
ビンテージなジュースを置いてあろう
とも、「冷し代を取るよ」とか「この
ジュースはコレクター向けだよ」(な
んて事は無いか)という説明がきちん
となされれば、よそから来た者は納得
するであろう。ところが、説明も無し
になぜか定価よりも高い金額を請求し
たり、家に持って帰ったら飲めないジ
ュースだったりするから「二度と行く
ものか」と感じるわけである。それが
山間部の観光客も来ないような田舎で
はなく、日本海側一の都市である新潟
市内で起こるわけだから増幅され非常
に不快に感じるわけだ。
 西蒲原郡内野町が新潟市に合併して
約四十年が経つ。文化祭の小豆湯もす
でに無い。あとは内野と新潟という二
つの異なった文化をどうやってつなぎ
合わせるか、要は如何に内にも外にも
通用するコミュニケーションをとる事
ができるかどうかにかかっている。

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