CC JAPAN「IBD患者の好きな清涼飲料水」

 ポカリスエットとゲータレード

 実は私、腸が丈夫な方ではない。その割に
冷たいものが好きなので、すぐ腹をこわして
しまう。そのため、缶ジュースはできるだけ
消化吸収の良さそうな物を選んで飲んでいる
のだが、消化吸収というと、スポーツドリン
クを思い出す人も多いだろう。そこで、世界
初のスポーツドリンクと言われている「ゲー
タレード」と、日本のスポーツドリンクの嚆
矢である「ポカリスエット」について歴史を
ひもといてみようと思う。

 私が小中学生だった頃、運動中に水分を摂
取するのは御法度だった。水を飲んでもすぐ
に吸収されず、余計疲れてしまうからという
話だった。しかし、それが体育の授業のよう
な軽微な運動ではなく、アメリカンフットボ
ールのような激しい運動だと話は違う。
 アメリカンフットボールの選手は2時間の
練習で平均2.5リットルの水分を汗として失
うそうだが、ゲータレードの考案される1960
年代前半までは、前述した通り水を飲まずに
練習することが普通であった。しかしそのた
めに体内の水分が欠乏し、熱射病で死亡する
ケースが発生し、1965年には全米で熱射病の
ため20名のアメフト選手が死亡した。
 この事実をなんらかの方法で打開しようと、
同年にフロリダ大学助教授兼同大学腎臓電解
研究所長のロバート・ケード博士が研究を開
始した。その研究の結果により作成された飲
料をフロリダ大学アメフト部「フロリダ・ゲ
ーターズ」でテストしたところ、好結果がも
たらされ、その結果当然のことながらチーム
の成績も向上した。そこで、この飲料は「ゲ
ーターズの飲み物」ということで、「Gatorade」
(ゲータレード)と名付けられた。ゲータレー
ドは1968年にストークリー・ヴァンキャンプ
社に製造権が譲渡され、現在に至っているが、
現在も米国のスポーツドリンクでは大きなシ
ェアを誇っている。

 ゲータレードが考案された頃、日本ではス
ポ根ドラマの最盛期であった。ドラマ同様実
際のスポーツ界も精神力第一主義で、スポー
ツに科学を持ち込むなんてもっての他という
状態ではなかっただろうか。そんな状況を一
変させたのが大塚製薬の「ポカリスエット」
だった。
 ポカリスエットの発売開始は1980年(昭和55)
である。この頃は高度経済成長後のゆとり時
代となり、清涼飲料水についてもスポーツ時
の水分補給、低カロリー指向による甘さ離れ
等が見受けられた。そこで、大塚製薬は健康
維持・増進を目的とした栄養食品への本格的
アプローチとしてポカリスエットを発売する
こととなった。大塚製薬は医薬品、特に輸液
・点滴・注射液のトップメーカーとしての技
術ノウハウの蓄積があったことも、ポカリス
エットの開発の一因である。当時、大塚製薬
のセールスマンは「医薬品を飲料にしたもの」
という触れ込みで問屋筋を回っていたという
話を聞いたことがある。
 ネーミングは「汗」を意味する英語「Sweat」
に語感の軽い明るい響きを持つ「ポカリ」を
かぶせたものである。「ポカリ」そのものに
は意味は無い。また、缶の「ポカリスエット」
の左上に小さな文字で書かれている言葉も発
売以来同じではなく、1992年には「イオンサ
プライ」から「リフレッシュメントウオータ
ー」へ、1999年からは「ボディリクエスト」
に変更されている。これは社会動向を考慮し、
数年おきに見直しを行っているとの事である。

 最近、経済のグローバル化ということで、
アメリカ製品もたくさん我々の生活に入り込
んできた。ところが、なぜかゲータレードは
ポカリスエットやコカ・コーラ「アクエリア
ス」のように生活に溶け込んでいない。どう
してなのだろうか。実はこれ、「スポーツド
リンク」ということで当初販路を運動具店だ
けに求めた結果、つまり販売戦略を誤ったの
が原因なのだ。スポーツ同様、力だけで勝負
するアメリカ人と柔よく剛を制する日本人と
の違いが大きく出た勝負である思う。

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