観缶楽学 第1話

 捨てる神あれば拾う神あり?

 みなさん初めまして。清涼飲料水研究家の久須美と
申します。これから時々、缶ジュースを通じて思うこ
とをあれこれ綴っていきたいと思います。まずは空き
缶のポイ捨ての話から。

 最近はスーパーマーケットで空き缶を回収したり、
分別ごみ収集で空き缶は別にしたりと、リサイクルの
意識は非常に高くなりました。しかし、私が缶収集を
始めた1991年頃はリサイクルの意識も低く、空き缶は
そこら中に捨て放題、逆に私は集め放題といった感じ
でありました。
 その当時、埼玉県川口市に住んでいまして、隣の浦
和市を通る新大宮バイパスを数キロ歩いたことがあり
ます。路肩には途切れることなく缶が捨ててありまし
て、今日は収穫物が多いかな、と期待したのですが、
実際は缶コーヒーばっかりで、とてもがっかりしまし
た。

 アメリカで缶入りコーラが考案されたのが第二次世
界大戦の頃ですから、缶ジュースってモノは歴史が短
いわけです。また、日本人にとってゴミというものは、
「いつか朽ちて土に還るものだから、道端に捨てても
そのうち無くなるよ」という意識が、ゴミのポイ捨て
に走らせているのかもしれません。有史以来、日本人
が土に還らないゴミを頻繁に扱うようになったのはこ
の四、五十年くらいですからね。

 以前、沖縄に旅行したことがあるのですが、一番の
繁華街である国際通りには、全然空き缶が落ちていませ
んでした。沖縄の人が缶ジュースを飲まないわけでは
ありませんので、空き缶のポイ捨ては、通行人が捨て
ないこと、周辺住民が捨てさせないことという、住む
人・通る人の意識の問題なのだと思います。

 まあ、人が缶を捨てるからこそ、私は7000缶近い缶
ジュースのコレクションができたわけでして、これは
捨ててくれた人に感謝すべきなのか、それともポイ捨
てを憂うべきなのか、いつも悩むところです。

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